10/29(土)演劇『フリック』
2016.10.29ひねもす里山/NORA雑感
10月29日(土)、新国立劇場で『フリック』を観劇した。
小さな古い映画館で働く若者の日常を描いたアメリカの現代劇で、とにかく台詞が良い。
全体的にユーモアがあり、ときどき光る若さゆえの純真さや鋭利さ、
それゆえの言葉のすれ違いや衝突など、台詞の妙にうならされた。
2014年ピュリッツァー賞受賞作とのことだが、翻訳も無理が少なくて良かった。
この芝居を観ているとき、普段接している学生たちのことを思っていた。
登場人物の生き方は不器用だ。
今の私からすると、もっと思考の無駄を省略して、
考えるべきことをシンプルにした方がいいなどと思ってしまう。
特に他人とのかかわりに関しては、自分でいくら考えても、いくらうまくやろうとしても、
他者は他者ゆえに思うようにならない。
そのことを前提にした割り切りと、
少しはわかり合えることがあるだろうという希望を持って、私は生きている。
はっきりと言ってしまえば、周りに大きな期待しても仕方ないという諦観もある。
一方、学生たちの迷い、悩みの多くは、いくら考えても考え尽くせない、
そこでは答えが出ないものばかりだ。
だから、私は考えるべき範囲を説明したり、
考えるための材料がそろっていないときは、経験することを勧めたりしがちだ。
でも、それってどうなんだろうと反省した。
むしろ、その迷い、悩みをよく聞いて、共感することの方がよほど大事なのではないか。
私だって学生の頃は、同じように将来を見通せないまま、
ただ生きていて、迷い悩んでいた。
当時は、何に悩んでいるのかもわからなかったような気がする。
しかし、それはそれで、大事な時期だったはずだ。
芝居を観ながら、「大人」になった悲しみをちょっぴり感じた。
今の時代、先行きが明るくてポジティブに生きられることは普通じゃない。
どうしようかと悩む方がまっとうだと思う。
あぁ、こんな風に生きている若者を応援したい。
そのためには、「大人」になって個人的な悩みを解決することよりも、
もっと悩んだ方がいいのかもしれない。
いや、本当は私も悩んでいる。
それをやり過ごすことが上手になっただけだ。
もっと自分の悩みに正直に向き合おう。
帰りの電車で、そう思った。
(松村正治)